眼科医局について

教室の歴史

昭和20年からの眼科開設

 
教室の歴史としては、太平洋戦争末期の昭和20年4月、奈良県立医科大学の前身である奈良県立医学専門学校設立に伴い付属病院となった旧協同病院の眼科医長水川孝先生(後の阪大眼科教授、国立大阪病院院長)が眼科学教授に就任しました。しかし、この年入学した学生への講義が始まるまでに水川先生は出征し、代わりに周々木三千太郎先生が、眼科学教授に就任し、眼科学の講義を開講しました。
その後、昭和24年神谷貞義先生が周々木教授のあとを受け継ぎ教授に就任し、戦後の混乱期のなか臨床に研究に、奔馬のごとく教室を運営しました。その後母校出身の第一期生岩垣正典先生が入局し眼科学教室の形が整いました。
 

屈折矯正分野を研究の中心に

 
その礎は中尾主一教授へと引き継がれ特に屈折、矯正の研究はめざましい発展をとげました。さらに西信元嗣教授が屈折、矯正の研究から発展して屈折矯正手術、電気生理の視機能への評価、眼科領域の高分子の物性、人工角膜の開発、調節力をもった眼内レンズの開発、小児眼科、人工硝子体の開発など幅広い研究を行ないました。原嘉昭教授は引き続いて人工水晶体・人工硝子体の研究をさらに発展させました。
 

平成22年より緒方教授による新体制開始

 
平成22年9月より緒方奈保子が教授に就任され、新たな体制のもとで教育、研究、そして診療に励まれました。また、糖尿病網膜症、加齢黄斑変性など網膜研究を進めるとともにコホート研究(藤原京スタディ、平城京スタディ)に参加し、視力と認知症、白内障と生体リズムなど眼が全身に及ぼす影響を明らかし、目の重要性を示すなど、大きな業績を残された後、令和6年3月をもって教授職を退任されました。
当教室は引き続き、関西地区のベットタウンである奈良県下を中心に約20施設の関連病院に常勤・非常勤の医師を派遣・紹介しております。
 
神谷貞義 教授
昭和14年3月25日
昭和22年6月
昭和24年3月
昭和24年8月
昭和28年12月
昭和45年4月
昭和46年8月
大阪医学専門学校卒業
大阪大学医学部講師
奈良県立医科大学講師
奈良県立医科大学助教授
奈良県立医科大学教授
奈良県立医科大学付属奈良病院院長
奈良県立医科大学名誉教授
 
中尾主一 教授
昭和22年9月
昭和34年3月
昭和46年7月
昭和53年4月
昭和58年11月
大阪帝国大学医学部卒業
奈良県立医科大学助教授
奈良県立医科大学教授
奈良県立医科大学付属看護専門学校校長
奈良県立医科大学名誉教授
 
西信元嗣 教授
昭和39年3月
昭和46年8月
昭和53年2月
昭和58年11月
平成12年5月
奈良県立医科大学卒業
奈良県立医科大学講師
奈良県立医科大学助教授
奈良県立医科大学教授
奈良県立医科大学名誉教授
 
原嘉昭 教授
昭和47年3月
平成1年8月
平成5年2月
平成12年11月
平成22年4月
奈良県立医科大学卒業
奈良県立医科大学講師
奈良県立医科大学助教授
奈良県立医科大学教授
奈良県立医科大学名誉教授
 
緒方奈保子 教授
昭和58年3月
平成6年4月
平成14年2月
平成15年7月
平成19年4月
平成22年3月
平成22年9月
令和6年3月
関西医科大学卒業
関西医科大学講師
大阪済生会泉尾病院眼科医長
関西医科大学助教授
関西医科大学准教授
関西医科大学附属滝井病院病院教授(併任)
奈良県立医科大学教授
奈良県立医科大学名誉教授